
『すべての産業において料金と結果は呼応するとは限らない』
私がいちばん腑に落ちなかったのは,
K ほんとうは,わが家がその学校を選び,学校もうちの子を引き受けた。それも高い授業料をとってね。それなら,ちゃんと責任をとるのがあたりまえでしょ? 入れてみたけど,うちの規格に合わないからお引き取りくださいなんて,無責任じゃない?
N 6年間あったのに放り出すというのなら,6年間子どもの教育をしてきたあなたの責任はどうしてくれるの?っていうことね。
K そう。高い「サービス料」に見合うサービスを要求するのは当然なのよ。学力がつかなかったのだって,学校が子どもの学ぶ意欲を引き出すような授業をしてこなかったからかもしれないじゃないの。(284頁)
という箇所。「高い『サービス料』に見合う[高い]サービスを要求するのは当然」と発言しているK=川合三沙子は,半分当たっていて,半分間違っている。当たっているのは,川合の論理そのままである。よい学校に費用がかかるのなら,そのよい学校の経費は受益者が負担しなければならない。
しかし,川井の言う「高いサービス」(=「意欲を引き出すような授業」)が提供されていなかったという証拠はない。「学校が子どもの学ぶ意欲を引き出すような授業をしてこなかったからかもしれない」と,この発言は断定の終助詞が用いられていない。他方,川井の言い立てる「学力がつかなかった」のは結果である。私立進学を考えて本書を購入した読者には本書の価値判断能力が結果として付与できたと言うつもりだろうか? (2255字)